どうも、その友人古田です 管理人ロードさんがアレなのできゅうきょ
代打日記を頼まれました。 ともかく代打日記なので代打ですが、代打
でも代打は代打なので代打します。
古田の文章はよくアレっぽいといわれますがソレは感じかた次第で
よくも悪くもなるので気にしないほうがいいんじゃないでしょうか、うん。
日記なんて書くのは、誰がいつごろはじめたんだとおもいますか?
少なくとも有史以降の上層階級……ニホンでいえば大和朝廷の…
…誰かまでは分からないと、ゆーひとに質問してえ、
原始人が日記を書かなかった「証拠」ってあるの?書いてたかも
しんないじゃん、発見されてないだけでさ。
こんなことゆーと、ロードさんがまたウンザリするんだけど、でも
だって、原始人てマンモス獲って食ってた連中なんだから、けっこう
何でもありですよ?だから、くだんない先入観とか、みみっちい知識
は捨てる。そして、考える!
紙とか竹とか粘土板に書いてあるのが日記だって決め付けるから
わけわかんなくなる。もしかして原始人特有の日記術があったのかも
しれない。
例えば……あの、貝塚とやら……なんかトテモ……
ま、貝塚は原始人のもんじゃない(らしい)けど。なにかの事由で
貝塚日記法は放棄され忘れられ、かわりにアミダサレタ「文字」を
つかって人間サマは日記するようになった、とか?
貝塚から文字へ、バカみてえだけど、このバカみてえなことってのが
現在進行しつつある、ような雰囲気だったりする。
紙からPCへ、日記っていえば紙に書くもんだったのがこうしてPCに
打ち込まれてインターネットで配信されたりしてる。
清少納言に説明しても何のことやら分かってもらえないだろうし
実物を見せても「こんなの日記じゃないじゃん」ってことになる。
今はまだ、こうして旧来の文字で書き込んでいるけどプラット
フォームの変化が、表記法やその認識法にどんな変化をもたらす
ともしれない。
あと1000年もすれば、人間サマはまたPCに貝殻を並べて、未来の
考古学者は、『枕草子』をトイレットペーパーだと胸を張って講義してる。
その様を目に浮かべてみる。
そんななかで、おんざ・ろーどはイダイな超古典として扱われるわけ
だけど「文字」なんて読める人はいないから、ただデジタル信号で記録
された古代人の遺産として、歴史教科書のカラー図版になったりする
わけだ。
サーバとお宅のPCの間を行ったり来たりしてるおんざ・ろーどだけど、
この日記が読めるってのは貝塚の真相を目の当たりにしてるのと同じ
くらいコーフンすべだ、ってことになるらしい。
途中ですごく脱線してしまった。本当は、
1、恐竜の日記が読んでみたい
2、ハーメルンの笛吹き男が化石で発見されたら?
とゆーはなしにするつもりだった、のになぁ。
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